開催趣意

人は生き物の宿命として、皆平等に死を迎えなければなりません。
病を得た結果としての死、老衰による自然な死、不慮の事故による突然の死、自ら命を絶った結果としての死など、死の様相は様々です。死にゆく人にとっても死に関わる人にとってもその悲しみは深く大きなものであるがゆえに、生きることに一生懸命だった時代の日本にとって死は忌み嫌われるものとして、日常の世界から見えづらくなってしまった問題でもあります。
日本死の臨床研究会は、『死の臨床において患者や家族に対する真の援助の道を全人的立場より研究していくこと』を目的に1977年創設され、職種や地域を超えて生と死の問題について先駆的にその援助の道を探求してきました。日本は世界に冠たる長寿国ですが、その一方で高齢・多死が大きな社会問題となり、今まさに“死という問題”にどのように取り組んでゆけばよいのかという事が、年齢にかかわらずすべての人にとっての生きる上での課題となっています。
死にゆく人は、死を体験することはできますが、死後その体験を残された人へ語ることはできません。看取る人は、死を体験することはできません。死にゆく人の死の様相から死を想像することしかできません。生と死は表裏一体の問題で、人は死にゆく人から“死”を学ぶことが重要であり、その学びから自らの“生”を考え、意味のある人生に繫げてゆく事が大切であると思っています。死の学びから得た生は“命を繋いでゆくバトン”であり、繋がってゆく命は人と人の絆を深め、絆は住み慣れた自らの地域への広がりの中で文化として醸成してゆくものではないかと考えています。
年次大会開催の地である『松山』は四国遍路の地であり、日本最古の温泉“道後温泉”と近代俳句の生みの親“正岡子規”生誕の街でもあります。正岡子規は当時“死にいたる病”と恐れられていた結核に罹り、晩年は寝たきりの生活を送り痛みの緩和のためモルヒネを使っていた記述も残されています。病床の様子は“病床六尺”や“仰臥漫録”に詳しく書き残されていますが、子規の時代の在宅ホスピスケアの記録でもあったのではないかと思っています。
このような文化を育んできた松山の地で、“死”に学びそしてどのようにして“生きることの意味”を見出してゆくのかを皆様と一緒に語らい考えてゆきたいと思っています。疲れた身体は道後の温泉で癒していただき、明日への活力にしていただければと願っております。
多くの皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。


開催に寄せて その1

 第44回日本死の臨床研究会年次大会を2020年10月17日―18日に松山市で開催を予定しております。開催に向けて実行委員会を2018年10月から定期的に行い、松山大会の骨格を少しずつ作り上げているところです。そこで、大会長として年次大会への思いを少しお話させていただければと思います。
 私は1977年4月に医師として社会に出て、一人でも多くのがんの患者様の命を救いたい思いから、肺癌を対象とする呼吸器外科医として日々手術に明け暮れる日々を送っておりました。同じ年の12月に柏木哲夫先生、河野博臣先生、金子仁郎先生が中心となり第1回の日本死の臨床研究会の年次大会を開催された先見性は、ただただ頭が下がる思いです。治療医としての日々は思いとは裏腹に厳しいもので、治療成績は悲観的なものでした。その当時の希望として早期発見・早期手術が患者様にとっても治療者にとっても一条の光ではありましたが、多くの患者様ががんとの闘病で次々と亡くなられる現状に、ただ医術だけでは対応しきれない多くの問題にぶつかる中で出会ったのが『緩和ケア』でした。手術というスキルを超えて患者様と向き合うホスピスケアの可能性に魅せられて、50歳の節目でメスを置きホスピスケア医としての道を選ぶ決断をして、現在の松山ベテル病院の門をくぐることになりました。
 赴任当時は、しっかりとした系統的な教科書はトワイクロスの原著がある程度で、病棟での日々の様々な症状への対応に右往左往するばかりで、頼りにならない医師として昼夜を問わず駆けずり回る日々を送っていました。そんな日常の中で、外科医だったころの疾患に縛られた視点から、人間としての一人の患者様の生き方に寄り添うケアの在り方に医療の原点を看るような思いで過ごせる自分に喜びを感じる日々でもありました。ちょっとした心無い前医でのスタッフの言葉に傷つき、ホスピス病棟でのスタッフの優しい心遣いに心の傷が癒されてゆく患者様やご家族の姿にホスピスケアの持つ力の大きさに魅了されていました。一方で、赴任早々の頃、自分の力不足からがん性疼痛のコントロールができずせん妄が発症し、深夜の4時に病棟へ呼び出され付きっきりで朝方までお付き合いし、家族の皆さんと相談し鎮静をかけざるを得ないつらい経験は、昨日のようにその時の情景が記憶として残っており、身体症状コントロールのスキルアップの原動力にもなりました。
 日々の実践の中で自分なりにホスピスケアの何たるかを考え実践していた9年後の2011年3月11日の出来事は私にとって、『いのち』についてもう一度考え直す出来事でした。日々、ホスピス病棟で患者様と向き合う生活の中で、ホスピスケアの持つ意味をもう一度考え直すとても衝撃的な出来事でした。きっと皆様も同じ思いをされたことだろうと思います。


開催に寄せて その2

 さて、開催に寄せての第2弾のお話です。第1弾で触れましたが、2011年3月11日東日本大震災は私にとって、『いのち』について考え直す出来事であり、日々ホスピス病棟で患者様と向き合う生活の中でホスピスケアの持つ意味をもう一度考え直すとても衝撃的な出来事でした。この出来事で16000人近い方が亡くなられ、約2500人の方がいまだ行方不明のままの状態です。朝、『行ってきます』と言って出かけられた方が、二度と帰らぬ人となってしまう“予期せぬ突然の別れ”、こんなつらい別れはないのだろうなと日が経てば経つほど心に突き刺さる思いでした。旅立つ人にとって別れの準備などないし、残された人にとっても心の準備などあろうはずがありません。(災害・事故などによる)何の前触れもない突然の別れの辛さは言葉にはできないつらい体験なんだろうと衝撃的に思い知らされた出来事でした。
 ホスピスの現場で出会う別れの風景は、大切な家族と永遠の別れをしなければならない患者様の悲しみや苦しみ、そばで見守る家族の方々にとっても同様に、大切な方を見送らねばならない悲しみや苦しみの中でドラマのように展開されます。しかし、悲しみや苦しみのドラマがあったとしてもかけがえのない方との別れの準備としての時間がそこにある事、その事こそ人生にとってかけがえのない大切な時なのではないかと、震災の出来事は私に気づきを与えてくれました。
 愛する人との永遠の別れとは命のバトン(命を継いでゆくこと)とよく言われます。私も日々の関りの中で命のバトンの意味を考えていたつもりでしたが、震災の出来事はそのことをより深めてくれたように思います。いのちの現場で「死」が語られてこそ「生」が語られる。「生」のみ語っても“いのち”は見えてこないのではないか。「死」が語られる現場で見えてきたものとは・・・・、そこには旅立つ人の今までの生き方が如実に反映されているように感じます。残された人へ自分の思いや気持ちをしっかりと託して旅立つ人、自己の消滅の不安にさいなまれ苦しみながら旅立つ人、その様相は様々です。見送る人も愛する人の命の終わりに寄り添いお別れをすることの辛さから逃げるようにお別れをする人もいれば、旅立つ人からしっかりと何かを受け取ってお別れをされる人、この様相も様々です。この様な体験から、看取りは残された人が人として成長するチャンスの時のように思うようになりました。看取る人が今度自分が看取られる時に、看取る人へ何かを託くす人であるためには、看取りというプロセスの中で託された経験がとても大切なのではないかと思います。看取りから学んだものがなければ、託すものは見つかりにくいのではないかと思えるのです。「看取る事」とは、旅立つ人から「何か」を託される最高の場であり、人は、死に際してバトンとしての「何か」を渡せる人でありたいと思っています。


開催に寄せて その3

 さて今回は、年次大会開催に寄せての第3弾のお話です。ホスピスの現場では、一人一人の患者さんの生き様が投影され、患者さんの数だけ旅立ちと看取りの風景があります。悲しみや苦しみや怒りであったり、時には笑いがあり謝罪や感謝であったり、その様相は様々です。しかしそこには「死」と向き合う時間があればこそ見えてくる風景であるように思います。「死」を語らずして「生」は語れない、「生」のみ語っても「いのち」の営みは見えてこない。「死」と向き合う「時の流れ」こそが、旅立つ人にとっても、看取る人にとっても貴重なものではないかと思えるのです。
 第44回日本死の臨床研究会年次大会のテーマを、『死に学び生を考える~看取りを文化に~』と致しましたが、「死に学び生を考える」という思いは、“「死」と向き合う「時の流れ」”とは看取る人が人として成長するチャンスの時のように思えるようになったことから起こったものです。看取る人は、旅立つ人が「死」と向き合う中で悲しみや苦しみ、時にぶつけてくる怒りを受け止め共に悩み苦しむ中で、旅立つ人からいただく感謝や謝罪の言葉や託す言葉は、看取った後の残された人にとっての生きる支えになるものだと思います。看取りという現場で旅立つ人が「死」をもって示してくれた賜物であり、その賜物に気づくことこそが「死に学ぶ」という事ではないかと思います。賜物は、残された人が自分の人生の中で大きな困難にぶつかった時の解決のヒントになったり、くじける気持ちを奮い立たせる力になったり、生きる力になるのではないかと考えます。時が過ぎ、看取った人が看取られる立場になった時に、過去の看取りから何かを学び生きる力を育んできた人は、看取ってくれる人へ何かを託すことができる人になれるのではないかと思います。旅立つ人が看取る人へ渡す「いのちのバトン」とはこの様な営みの中から繋がってゆくものではないかと思います。
 「死」に学び、その学びから自らの“生”を考え、意味のある人生に繫げてゆく「いのちのバトン」は人と人の絆を深め、絆は住み慣れた自らの地域への広がりの中で文化として醸成してゆくものではないかと思います。~見取りを文化に~の思いは、看取りを文化として作り上げてゆこうという大それた思いではなく、すべての人に平等に訪れる「死」という問題に学び、その学びから自らの“生”を考え、意味のある人生に繫げてゆく「いのちのバトン」を連綿と渡してゆく事から生まれてくるものではないかと思っています。
 年次大会開催の地である『松山』は四国遍路の地であり、日本最古の温泉“道後温泉”と近代俳句の生みの親“正岡子規”生誕の街でもあります。このような文化を育んできた松山の地で、“死”に学びそしてどのようにして“生きることの意味”を見出してゆくのかを参加頂く皆様と一緒に語らい考えてゆける年次大会にできればと願っています。
 多くの皆様の参加をお待ちしております。